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câu bị động trong tiếng nhật, đối chiếu với đơn vị tương đương trong tiếng việt và những lỗi sai người việt nam học tiếng nhật thường mắc

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ハノイ国家大学
外国語大学
大学院
**************

NGUYỄN THỊ THU TRÂM

日本語の受け身
ベトナム語との対照
―ベトナム人日本語学習者のその誤用―

CÂU BỊ ĐỘNG TRONG TIẾNG NHẬT
ĐỐI CHIẾU VỚI ĐƠN VỊ TƯƠNG ĐƯƠNG TRONG TIẾNG VIỆT
VÀ NHỮNG LỖI SAI NGƯỜI VIỆT NAM HỌC TIẾNG NHẬT THƯỜNG MẮC

修士論文
専攻科目 : 日本語学
コード

: 60.22.02.09

ハノイ、 2015年
ĐẠI HỌC QUỐC GIA HÀ NỘI
ĐẠI HỌC NGOẠI NGỮ


KHOA SAU ĐẠI HỌC
*************

NGUYỄN THỊ THU TRÂM


日本語の受け身
ベトナム語との対照
―ベトナム人日本語学習者のその誤用―

CÂU BỊ ĐỘNG TRONG TIẾNG NHẬT
ĐỐI CHIẾU VỚI ĐƠN VỊ TƯƠNG ĐƯƠNG TRONG TIẾNG VIỆT
VÀ NHỮNG LỖI SAI NGƯỜI VIỆT NAM HỌC TIẾNG NHẬT THƯỜNG MẮC

LUẬN VĂN THẠC SỸ
CHUYÊN NGÀNH : NGÔN NGỮ NHẬT BẢN
MÃ SỐ

: 60.22.02.09

GIÁO VIÊN HƯỚNG DẪN: PGS.TS ĐỖ HOÀNG NGÂN

Hà Nội, 2015


GIẤY XÁC NHẬN

Đề tài (tên tiếng Nhật):
日本語の受け身
ベトナム語との対照ベトナム人日本語学習者のその誤用
Đề tài (tên tiếng Việt):
Câu bị động trong tiếng Nhật
Đối chiếu với đơn vị tương đương trong tiếng Việt
và những lỗi sai người Việt Nam học tiếng Nhật thường mắc
Học viên: Nguyễn Thị Thu Trâm
Chuyên ngành: Ngôn ngữ Nhật Bản

Mã số: 60220209

Xác nhận học viên đã chỉnh sửa luận văn theo góp ý của Hội đồng.

Xác nhận của Giáo viên hướng dẫn

Xác nhận của Chủ tịch Hội đồng


保証書

私は Nguyễn Thị Thu Trâm で、大学院学科の院生です。私の修士課程論
文は文学作品における日本語とベトナム語の指示詞の対照をテーマとして作成
しました。指導教師の教えるを元に、自分で論文を書くのを保証いたします。
他の論文からこピーしないことにしました。

Nguyễn Thị Thu Trâm


謝辞

本論を行うために多くの方々から、ご協力及びご援助をいただきました。と
くに、ハノイ国家大学・外国語大学の Đỗ Hoàng Ngân 先生は本論文に対して、
深い関心を示してくださり、構想の大枠から問題設定まで、懇切なるご指導を
賜りました。厚く感謝申し上げたいと思います。また、東洋言語文化学部の先
生方が貴重なご意見を下さったことにも心から感謝いたします。


目次
序論

1.研究の背景 …………………………………………………………………………1
2.研究の目的…………………………………………………………………….…….2
3.研究の対象と範囲 ……………………………………………………………….....3
4.先行研究……………………………………………………………………………..3
5.研究の方法…………………………………………………………………………10
6.論文の構成…………………………………………………………………………10
第一章 日本語の受け身およびベトナム語との対照
1.1.日本語の受け身………………………………………………………….………11
1.1.1.受け身の概念………………………………………………………….…….11
1.1.2.日本語の受け身の分類……………………………………………….…….19
1.1.2.1.問題の設定………………………………………………………….…..19
1.1.2.2.本稿の分類………………………………………………………….…..20
1.2.ベトナム語の受身表現との対照…………………………………………….…30
1.2.1.形態の面……………………………………………………………………..32
1.2.2.意味の面……………………………………………………………………..33
1.2.3.構文の面……………………………………………………………………..34
1.3.本章のまとめ…………………………………………………………………….36
第二章 ベトナム人日本語学習者の受け身の使用に関する調査
2.1.調査の概要 …………………………………………………………………...….37
2.1.1.調査の目的……………………………………………………………….….37
2.1.2.調査対象者……………………………………………………………….….37
2.1.3.調査内容の範囲と方法………………………………………………….….39
2.1.4.調査の小テストの作成………………………………………………….….39
2.2.調査結果と分析………………………………………………………………….40
2.2.1.受け身と自動詞との混用………………………………………………..…41
2.2.2.受け身と他動詞との混用………………………………………………..…45
2.2.3.受け身と使役受け身との混用…………………………………………..…49
2.2.4.補助動詞に見られた誤用………………………………………………..…50
2.2.5.同じ「~られる」形の用法との混用…………………………………..…51
2.2.6.他の誤用…………………………………………………………………..…54

2.3.本章のまとめ………………………………………………………………….....59
第三章 受け身の指導のポイント提案
3.1.問題の設定……………………………………………………………………….61


3.2.適切な指導のためのポイント.............................................................................62
3.2.1.受け身文と自動詞文の区別..........................................................................62
3.2.2.話者の視点の強調..........................................................................................63
3.2.3.「Bị」、「Được」構文および受け身文の関わりの解釈.........................65
3.2.3.1.日本語の受け身文に対応する「bị」構文、「được」構文................65
3.2.3.2.日本語の受け身に対応しない「Bị」、「Được」構文......................66
3.2.4.同じ「~られる」形の用法の区別..............................................................67
3.2.5.練習問題の追加..............................................................................................69
3.3.本章のまと.................................................................................................................70
結論......................................................................................................................................71
参考文献..............................................................................................................................74
付録......................................................................................................................................75


序論

1.研究の背景
人間の社会というのはあくまでも人と人のコミュニケーションによってます
ます発展していると思われる。そのコミュニケーションはどのようにされてきたの
だろうか。人間は実際に接して、身振りや目などではある程度言いたいことや考え
ていることを相手に伝えることができる。そのような人同士の行為は本当のコミュ
ニケーションだと言えないだろう。しかし、そういう方法で聞き手にただ出来事の
内容を理解してもらうということで済む。そのため、大事な話し手の気持ちはほと
んど伝わらなくなってしまう。それはなぜ言語は人間の社会には欠かせないコミュ
ニケーションの手段になっている理由であろう。

言語というものはある国の言語にはその国の習慣と風俗、またはその国の文
化の特徴が含まれている。だから、各国の言語はそれぞれほかの言語には見られな
い特徴がある。言葉の存在のおかげで、人の感情や考え方が明確に表されるという
ことで、コミュニケーションが自然に最高の効果に達すると言われている。もっと
も、話し手と聞き手の関係によって、そして、さまざまな場面に応じ、感情、意見
などを述べるのは簡単なことではない。むしろ、言いたいことや考えていることを
直接的に伝えると、かえて相手が誤解してしまったり、何かが気になってしまった
りする場合や話してには好ましくないことになってしまう場合などもよくあるので
はないだろうか。そこで、直接言うのを避け、婉曲な表現や言いたいことが言える
し、気持ちも伝えるし、言う必要のないことが隠せる表現がよく使用されている。
これは日本語の特徴だと言われている。
ところで、その人間の気持ちや意志などを表すには、命令・依頼・勧誘や義
務・許可・禁止や意志・願望・判断など、いろいろな表現がある。そのほかに、使
役文、授受表現、尊敬語、受け身文などもよく使われる。その中に、特に受け身文

1


は非常に興味深い表現で、これまで日本語専門の研究者がよくテーマに取り上げ、
分析したり、解説したりしてきた。では、実例を考察してみよう。
AとBという二つの野球チームが対戦し、AチームのバッターがBチームのピッ
チャーからホームランを打ったとする。Aチームのファンであれば、「。。。選手が
ホームランを打った」というだろうし、Bチームのファンなら「。。。選手にホーム
ランを打たれた」ということが多い。
この「打つ」と「打たれる」のような違いは「○○選手がホームランを打った」と
いう事実をAとBどちらの立場からとらえるかによって生じる。
けれども、深く考えると、Aチームのファンが言う文はその出来事のありさまを
叙述するだけであり、かえて、Bチームの言う文にはその事件を述べること以外に打
たれることは彼らにとって不満、被害になってしまうというニュアンスも含まれて
いる。このニュアンスはどのように受身文に表されるのか、次の例文を見てみよう

(a)彼女のお母さんが入院した、(b)彼女はお母さんに入院された。 この二つの
例文を読んでみれば、両方とも「彼女のお母さんが入院した。」ということを陳述
するが、よく考えると、例文(a)は何も気持ちを入れず、ただ事実を述べることで
済んでしまう。逆に、例文(b)はその「彼女」のさびしさや心配な気持ちが読み手、
聞き手に伝わてくる。つまり、個人の立場に立つ言い方に受け身表現がよく使われ
る。この受け身表現によって、話しが生き生きとして進んでいる。

2.研究の目的
以上述べたように、受け身文は日本語文法には重要な用法であったり、日本語
学習者の使用回数が多かったりする。ところが、さまざまな原因で、日本語学習者
が受け身の使用の際には、誤解したり、間違ったりするのはよくある。それで、日
本語の教育上では、通常生じる誤用を避けるには、適切な指導が必要になる。
本稿において、まず日本語の受け身用法の概要を紹介したい。日本語の受け身
はどんな形を持っているか、そして、どうのような意味やニュアンスや特徴などが
あるか、その概略を述べる。しかし、ベトナム人学習者を中心に、受け身文を用い
るとき、どんな誤用が通常生じるか考察し、その回避には、どんな指導方法が適当
であるか、記述するのは本研究の主な目的となる。

2


3.研究の対象と範囲
本稿において、日本語の受け身文について概略の形で、紹介した上で、その
受け身の使用にはよく見られる誤用やその回避のための教育上の指導を主に研究す
る。本研究の対象は受け身であるが、受け身そのものの具体的な説明ではなく、そ
の概要しか述べない。それより、日本語学習者がよく触れる実際に使用の際の誤用
を研究する。そして、教育上では、適当な指導方法についても同時に、指摘したい。
ところで、これまで日本語の受け身についての研究が数え切れないほど数多
くある。そして、日本語の受け身を使うときと誤用に関しても、かなり研究されて
きた。しかし、本稿では、ベトナム人学習者を中心にし、その誤用を考察する。具

体的に言えば、ハノイ国家大学・外国語大学付属外国語専門高等学校において、日
本語コースに従う学生を対象にし、その使用実況を見る。つまり、本研究はベトナ
ム人学習者の受け身の使用の際に見られる誤用を通し、日本語の受け身の誤用につ
いて調べる。さらに、そのような誤用を回避するには、どんな指導方法が必要にな
るかも述べる。

4.先行研究
周知のとおり、受け身文の研究はこれまで数多くあるが、それぞれ重視する
内容がある。受け身の種類を主にするものがあれば、日本語の受け身文の特徴を示
すものもある。
受け身文の分類については、従来の研究では、いくつかの視点から分類され
てきた。代表的なものには、対応する能動文のどの格が主語になるかによる(1)
「直接対象の受け身」、(2)「相手の受け身」、(3)「持ち主の受け身」、(4)
「第三者の受身」の四種類(鈴木1972)、主語が被害・迷惑を被る意味合いの有無
による(1)「中立受け身文」および(2)「被害受け身文」の二種類(久野1983)、
そして、何を主語として表現するかによる(1)「直接受け身文」、(2)「間接受
身文」、(3)「持ち主の受け身文」の三種類(日本語記述文法研究会(編)
(2009))などがあげられる。しかし、否定できないのは「直接受身文」および
「間接受身文」の2種類の分け方がもっとも使われることだと言えよう。代表的な分
類は寺村(1982)、井島(1991)にまとめられている内容のようである。受身文の

3


文法構造に重点が置かれるか、「被害」のような意味に重点が置かれるかなどによ
って、この2種類の文の名称がそれぞれ異なる。文法構造に重点が置かれる研究とし
て、寺村(1982)、柴谷(1982)がある。一方、意味上に重点を置かれる研究とし
ては、久野(1983)がある。また、この2種類以外にも、異なる基準による分類が数
多くある。たとえば、俺(2001)は、対応する能動文の有無や主語の影響の受け方
を基準として、受身文を「直接受身文」「間接受身文」「中間的な受身文」と3種類

に分類した。
日本語教育の指導項目の一つとして「受身」がある。どの初級の教科書にも
受身の項があり、少なくとも受身形の形成及びその用法について説明がなされてい
る。その説明の中には、普通以下のような用語、概念が用いられている。
直接受身、間接受身、所有の受身、非情の受身、有情の受身、中立受身、迷惑受身、
持ち主の受身、自動詞の受身。
数多くある受身文に関する先行研究の中でも、意味的な観点から分類した松
下(1930)、主に文構造およびそれに従う意味によって分類した三上(1953)、形
態的な観点から分類した鈴木(1972)、寺村(1982)、そして、それまでの先行研
究を踏まえ、受身研究をさらに進展させた益岡(1991)の五つの先行研究について
概観する。
松下(1930)は、レル・ラレル形式のうち、受身・可能などを表すものを
「被害の動助辞」と解説した。そして、その中でも、受け身表現を「実質的被動」
と呼び、さらにそれを「単純の被動」および「利害の被動」に分けた。では、具体
的な例文は以下のようである。
例文1:
子供が犬に噛まれる。

(利害の被動)

例文2:
国旗は高く檀上に掲げられた。

(単純の被動)

4


利害の被動とは「ある対象の動作に由って利害を被る意を表す被動」である。
また、単純の被動とは「利害を被る意味その他特殊の意味の無い被動」と松下が研

究で述べた。
三上(1953)は、主に西洋文法と比較の視点から論じ、日本語の受身文を
「まともな受身」および「はた迷惑の受身」に分けた。以下の例文3において、能動
文3における主格要素「Aが」を「Aに」に変え、動詞を受身の形に変えると受身文に
なるが、その空白になった主格部分を外部から補ったものが例文3である。この3(b)
のような受身文を、例外なく迷惑の感じが伴うものばかりであるので、「はた迷惑
の受身」と呼び、能動文3(a)のヲ格要素「C」 、二格要素「B」が、空白になった主
格部分を補った3(c)、3(d)のことを、動詞の意味次第で、恩恵にも迷惑にもなり、平
気なことも起こるが、その迷惑にしても、はた迷惑ではなく、真っ向からの被害で
あることから「まともな受身」と呼んだ。
例文3:
(a)AがBにCを紹介した。
(b)DがAにBへCを紹介された。
(c)BがAにCを紹介された。
(d)CがAにBへ紹介された。
三上(1953)は、以上のようにこの2種類の受身文の性質に違いを見い出し、
日本語動詞の自他も受身の成否により、分類することが可能であると主張した。こ
の分類基準は、現代の直接受身、間接受身の違いに通じる基準となっている。
鈴木(1972)は、受け身文にしたときに対応する能動文のどの格要素が主語
になるかという基準により受け身文を分類した。まず、能動文の動詞の示す動きの
直接対象(ヲ格)を主語として表す4(b)のようなものを「直接対象の受け身」、能動
文の動詞の示す動きの相手(二格)を主語として表す5(b)のようなものを「相手の受
け身」、もとになる動きの対象の持ち主(ノ格)を主語として表す6(b)のようなもの
を「持ち主の受け身」、もとになる動詞により迷惑を受ける第三者(能動文には登
場しない要素)を主語として表現する7(b)のようなものを「第三者の受け身」と呼ん
で区別した。

5



例文4:
(a)次郎が幸子を殴った。
(b)幸子が次郎に殴られた。
例文5:
(a)犬が太郎にかみついた。
(b)太郎が犬にかみつかれた。
例文6:
(a)スリが太郎の財布をすった。
(b)太郎がスリに財布をすられた。
例文7:
(a)隣の息子が一晩中レコードをかけた。
(b)私たちはとなりの息子に一晩中レコードをかけられた。
益岡(1991)は、基本的に松下(1930)とそれほど変わらない。益(1991)
では、まず松下氏が扱った受身文全体を、「事象叙述受動文」と呼び、それをさら
に「降格受動文(「単純の被動」)に対応)および「受影受動文(「利害の被動」
に対応)に分けた。益岡(1991)で特徴的なのは、ある対象の性質や特徴を表現す
るものを「属性叙述受動文」と呼んで分類した点である。例えば、以下のような例
がそれに当たる。
例文8:
花子の家は高層ビルに囲まれている。
そのほかに、仁田尾(2009)では、もとの文のどの構文要素が受け身文の主
語として表されるかによって、「まともの受け身(直接受け身)」「持ち主の受け
身」「第三者の受け身」の三つに分けられている。
① まともの受け身(私は先生にしかられた。)
② 持ち主の受け身(彼は隣の人に足を踏まれた。)

6


③ 第三者の受け身(僕は雨に降られた。)

以上、先行研究による受身文の分類を考察した。見て分かるように、言語研究
者により、受け身文に関する考え方がさまざまで、その分類法もそれぞれ異なる。
以上記述したことを分かりやすくなるように、以下の表1でまとめてみよう。

表1‐先行研究のまとめ
研究者

分類の根拠

松下(1930)

文の意味

種類
-単純の被動
-利害の被動

三上(1953)

文の構造と意味

-まともな受け身
-はた迷惑の受け身

鈴木(1972)

形態

-直接対象の受け身
-相手の受け身

-持ち主の受け身
-第三者の受け身

益岡(1991)

文の意味

-降格受動文
-属性叙述受動文
-受影受動文

仁田(2009)

受け身文の主語になるもと

-まともの受け身

の文の構文要素
(直接受け身)
-持ち主の受け身
-第三者の受け身

7


以上で記述したように、日本語の受身文の分類については、確かに数多くの
分け方がある。本稿では、日本語教材として使われている『新編日語』(1994)で
の分類法に一番近い寺村説(1982)に従うことにする。寺村(1982)によれば、日
本語の受身文は、出来事からの影響の受け方により、「直接受身文」および「間接
受身文」の2種類に分けれらる。

これに対して、日本語教材の『新編日語』(1994)では、受身文は(1)「主
語が人である直接受身文」、(2)「主語が事あるいは物である直接受身文」、
(3)「間接受身文」の三種類に分けられ、さらに(3)「間接受身文」は①「自動
詞受身文」および②「目的語がつく受身文」に分けられる。
本稿では、出来事からの影響の受け方により、基本的に「直接受身文」およ
び「間接受身文」の二種類に分けられる寺村説(1982)に従い、日本語教材の『新
編日語』(1994)に書いてある分類も結合して、各種類の受身文を詳しく説明しな
がら、日本語の受身文の特徴などを明らかにする。
ところで、日本語の受身の研究の同様、ベトナム語の受身についての研究も
かなりある。その代表として、宇根祥夫(1983)、富田健次(1989)など、日本の
研究者によるものと、Lê Thị Thanh Hà(1999)、Diệp Quang Ban(2001)など、
ベトナムの研究者による研究があげられる。しかしながら、日本語の受身とベトナ
ム語の受身の対象比較についての研究はあまりない。そこで、本稿では、以上の研
究者の研究成果をもとにし、日本語およびベトナム語の受身の特徴を分析しながら、
その対象比較を詳しくしたいと思われる。
受け身の使用の誤用についても、いくつか研究がされてきた。ハノイ大学・
日本語学部のグェン・タン・ヴァンはベトナム人学習者の作文を通し、受け身の使
用に関する誤用を分析し、ベトナム語である「bị」、「được」が受け身の使用に大
きい影響を与えることを示した。グェン・タン・ヴァンは日本語の受け身とベトナ
ム語の受け身の対照研究の結果から、学習者が日本語の受動文を使用する際、以下
のような誤用が出てく るであろうことが予想された。
①「được」構文の意味用法が日本語の受動文と「~てもらう」に転用する誤用
②「持ち主の受身」の「持ち主」と「持ち物」の文法的役割に関する誤用

8


受身の意味を表さない 「được」構文・「bị」構文が日本語の受動文に転用する



誤用

学習者の作文を分析することにより、予想した受け身の3つの誤用のパターンを
確認した上、さらに予想しなかったもう2つの誤用のパターンも提示した。
④ 複文の中の主語の統一に関 する誤用
⑤ 助詞の選択に関する誤用も見られた。
中村(2002)は中級学習者の受け身使用における誤用例の考察という研究を
行った。中村(2002)は過去 3年間の「中級文去クラス」の学習者に対する受け身指
導も含めた全指導過程において見られた誤用例延べ数238をまとめ、 以下のように、
誤用を分類した。
① 受け身と自動詞の混用(165例)
② 受け身と他動詞との混用(28例)
③ 受け身の主語におけるもの(31例)
④ 受け身の動作主におけるもの(21例)
⑤ 使役・吏役受け身との混用(8例)
⑥ 補助動詞に見られたもの (2例)
⑦ 語葉(動詞)の選択におけるもの (2例)
そして、以上に挙げられた誤用の要因も研究には示した。次のようにまとめられる。
① 文体と受け身の不適切な関連
② 自動詞に関する不充分な理解
③ 自動詞と他動詞の不充分な識別
④ 利害性と受け身の主体の共起に関する不充分な理解
⑤ 主語の省略における誤解と話者の視点の不統一
また、許(2006)は韓国入日本譜学習者の「(ら)れる」の使用に見られる誤用に
ついて分析した。

9


しかしながら、以上述べた従来の受け身についての研究には、確かに受け身

の使用の誤用をテーマにし、考察するが、中国や韓国人の学習者を対象にするもの
が多いのに対し、ベトナム人学習者を中心に、研究を進めるのがまだ少ない。その
理由で、本研究では、以上紹介した中村(2002)の研究を参考にし、その解説に従
い、研究を進めたい。ただし、ベトナム人日本語学習者の場合は、母語の影響も誤
用が生じる要因の一つであり、本稿では、それも含め、研究を行う。

5.研究の方法
本稿では、まず日本語の受け身の概要について述べる。そして、実際に日本
語を選考としている学生を対象にし、小テストの形式で、受け身の使用の実況を考
察し、その考察結果により、通常生じる誤用を指摘する。本研究の調査はハノイ国
家大学・外国語大学付属外国語専門高等学校において行い、その結果を解説したり、
誤用を生じさせる原因は何だかも分析する。最後に、日本語ベトナム人学習者を中
心に、その誤用の回避には、適切な指導ポイントも提案する。

6.論文の構成
序論では、本研究の背景や目的や範囲などを述べ、受け身に関する先行研究
も紹介する。受け身についての研究はこれまで数多くされてきたが、研究者によっ
て、その観点もさまざである。詳しくは序論において、説明する。
第一章では、まず受け身の概念について論じ、日本語の受け身文の種類を述
べる。次の節でベトナム語の受け身の特徴を示し、両言語の受け身を対照した上、
その共通点と相違点を明らかにする。
第二章において、ベトナム人日本語学習者が受け身を使う際、どんな誤用が
生じるか調査を通し、明確にする。そして、その要因は何かも考えてみる。調査は
小テストの形で、外国語専門高等学校において行われる。
第三章では、調査で発見された誤用を回避するのにどんな指導や教授法が適
切か提案する。この提案は調査の対象である外国語専門高等学校の学生を目指して
いる。それに、現在使われている教科書の問題点も述べ、その練習問題の追加に役
立つ提案もする。
結論では、本研究で論じられた内容をまとめ、今後の課題を述べる。


10


本論
第一章

1.1.

受け身の概略

日本語の受け身

1.1.1.受け身の概念
実際に行われた日本語の受身文に関する先行研究を見てみると、受身文の概
念、形態的特徴、分類、成立する条件について主に構文上および意味的という二つ
の面からの研究が多くなされている。本稿では、その先行研究と同様、受身文のい
ろいろを考察しながら、他の言語に見られないその特徴を目立たせたい。それから、
母語のベトナム語との対照を行いたいと考えている。まず初めに受身文の定義を明
らかにする。受身文はどんなものなのか、参考文献や人によってそれぞれ、理解し
方がある動作作用の主体が、だろう。受身文についての研究や日本語教材により、
ざまざまな考え方が出てくる。
ここでは、まずその代表的な定義を紹介してみる。受身文というのは一方か
ら、他方にある行為や動作や作用を与え、その影響の受ける場合、その影響を受け
た側の人、あるいは、物を主体にし、出来事を表すものである。簡単に言えば、受
身文を「ある人や動物やものが他から何らかの影響を受けることを表現する」とい
う形式とするとしよう。
本稿では以上述べたように、寺村説および日本語教材として使われている
『新編日語』(1994)に従うことにする。寺村(1982)は「受身というのは、要す
るに、動作作用の主体が、他の何ものかに働きかける場合に、動作主、つまり動き
の発するところを主役とするのでなく、動きを受けるもの、動きの向かう先を主役

として事態を描く表現である」と述べている。
文法の面から受身文を詳しく考察する場合は、いろいろな疑問が出てくるだ
ろうと思われる。いったい受身はどんなものか、そして、どういうもののことを言

11


うのかをはっきりさせておかなければならないという理由で、次のうち、明確にし
たいと思う。まず、どういう形をしている文が受身文と言えるようになるのか、と
いう質問のようである。では、受身文であると言い得るためには、どのような規定
があるか、考えてみよう。以下では、言語研究者が認めてきた主な二つの規定をあ
げてみる。
・形態的な規定:
世界中の言語には、ある文が受身文だと認めるためには、形態的な規定を基
にするものが多いようである。例えば、英語の場合は、「BE」という動詞および過
去分詞の組み合わせで、受身用法が結成される。ベトナム語はどうだろうか。受動
意味を表す特殊助動詞群およびその文の動詞と組み合わせることによって、受身用
法が形成される。では、日本語の場合は、どのようになっているのだろうか。受身
の形は、元の動詞の活用によって異なる。この形は他の用法にも見られる。受身形
は元の動詞の活用にかかわらず、RU-Verb、つまり、一段動詞となっている。受身
文の述語には、動詞(未然形)に「(ら)れる」という助動詞が来る。
本章では、「五段動詞」、「一段動詞」および「特殊変化動詞」という3グルー
プに分け、受身動詞の活用を指摘しておく。詳しくは下の表1に示したいと思われる。
受け身の動詞を作る接尾語「れる」および「られる」は従来、助動詞として取り扱
われてきたのであるが、その頃にも述べるとおりに、これらの助動詞は、言葉とし
ての助動詞にも属するものではなく、詞の中の用語だとは考えなければならないも
のである。一般的に、助動詞のついたものは一つの句であって、どこまでも二語と
して取り扱わなければならないものであるが、助動詞のついたものは、これを複合
動或はまたく一語として取り扱うことができるのである。したがって、主語との照
応も、受け身文の場合は、助動詞のついたものが一語としてその述語となることが

できるわけである。
周知のとおり、動詞未然形にいわゆる助動詞の「(ら)れる」が下接した形
にはいくつかの用法がある。学校文法をはじめ、広く行われている理解では、以下
の4つの用法に分けられている。

12


例文9:
(a)

私にはふるさとのことがなつかしく思い出される。

(b)

ナムさんは刺身が食べられる。

(c) 先生は大阪へ行かれた。
(d)

花子が先生に注意された。

まず、表2 に示される受け身動詞の活用を見よう。
表2‐受け身動詞の活用
動詞

基本語幹

受身形


~u

~areru

書-ku

書-kareru

例文

種類
五段
動詞

・この本が1990年に書かれた。
・英語は世界中の人々に話され
話-su

話-sareru

取-ru

取-rareru

死-nu

死-nareru

飲-mu


飲-mareru

ている。
・泥棒に財布を取られた。
・愛犬に死なれて、悲しかった
です。
・妹にジュースを飲まれた。

一段
動詞

~ru

~rareru

話しかけ-ru

話しかけ-rareru

・急に外国人に英語で話しかけ

13

られる。


教え-ru

教え-rareru


・日本人の友達に日本語を教え
られる。

特殊

来る(kuru)

来(korareru)

変化

する(suru)

される(sareru)

説明する

放送される

(setsumei suru)

(housou sareru)

動詞

・うるさい友達に来られて、勉
強に集中できない。
・この試合は今晩テレビで放送
される。


では、実例を考察してみよう。
例文10:
(a) 私にはふるさとのことがなつかしく思い出される。
(b) ナムさんは刺身が食べられる。
(c) 先生は大阪へ行かれた。
(d) 花子が先生に注意された。

同じ「(ら)れる」であるが、それぞれ用法が違うし、表されるニュアンスも異な
っている。「何かが自然に、ひとりでにある状態になること」を表す(a)を自発用
法と呼ぶ。(b)はナムさんの可能・能力について述べるから可能用法と言う。(c)
では「先生は大阪へ行った」という出来事を陳述するとともに、先生に対する話し
手の敬意も含まれるから尊敬用法となっている。
(d)だけは受身用法である。では、動詞のグループに分け、どちらが自発用法、可
能用法、尊敬用法、受身用法か、考えてみよう。
例文11:(1グループ)


先生はよく新聞を読まれますか。

14

(尊敬用法)




私は母に日記を読まれました。

(受身用法)


例文12:(2グループ)


ハーさんは納豆が食べられます。

(可能用法)



私は妹にケーキを食べられた。

(受身用法)

例文13:(3グループ)


明日何時に来られる?



先生は今日パーテイーに来られますか。(尊敬用法)



うるさい友達に来られて、勉強できませんでした。(受身用法)

(可能用法)

以上の三つの例文では、どれでも「(ら)れる」の形を用いるが、三つとも
受身と言えるだろう?


見て分かるように、同じ「~ areru」という形の「読まれる」、

「食べられる」、「来られる」でも、受身用法ではなく、尊敬用法か可能用法、あ
るいは、尊敬用法になる場合もある。そのため、形態的な規定だけでは、その文が
受け身だとは認められないのではないだろうか。同じ動詞の形が使われるけれど、
意味の面から考えなければ、誤解してしまう場合も少なくない。


意味的な規定:受身文であるものは主語がそれ以外の動作主の引き起こ

すの作用や影響を受けるという意味を表す。
以上にも述べたように、一つの文が受身文であるか、受身文ではないか区別
するには、動詞の形態だけでなく、意味も考えなければならないと言えよう。それ
をより深く理解できるように、次の例文をみよう。
例文14:
昨日、うるさい友達に来られて、全然勉強できませんでした。
例文15:
明日、私は7時に来られると思います。
例文16:
部長は来られましたか。

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以上の例文を見てわかるように、使われる動詞はすべて「(ら)れる」の形
をとっている。言い換えると、形態的には受身文と呼ばれることになってしまうが、
意味的な規定から考察してみれば、可能の意味を持っている文(例文15)と尊敬の
意味を持っている文(例文16)がこの規定には合わない。このように、意味的な立
場から見ると、受身文を形成する動詞はどれだろうか。所動詞は受身文の成立たな

いもの、能動詞の自動詞と他動詞は受身文の成立つものということにある。
そして、この意味的な立場から、受身文の主語つまり受動主体にとって、動
作主から与えられた作用・影響から迷惑の意味を感じるか、好ましいと感じるか、
または中立的に感じるかによって、受身文を三つのタイプに分けることができるだ
ろう。迷惑の意味が出るのは、ほとんど受け身文の主語が作用・影響を間接的に受
ける場合である。次の例から考察を行う。
例文17:
私は他人に子供をほめられて、うれしいです。
例文18:
彼女はどろぼうに財布をとられた。
例文19:
彼は雨に降られた。
例文20:
私は母に妹をほめられた。
例文21:
この名画はレオナルド・ダビンチによって描かれた。
例文22:
私は妹に日記を読まれてしまった。
まず例文18 を見てみよう。この二つの例文が表す状況はどろぼうが財布をとっ
たということによって、「彼女」に被害が被る。この状況では、主語いわゆる受け
身の主体が表す当事者「彼女」は出来事には関与していない。しかしながら、周辺

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的な所有物「財布」が関与したため、「彼女」は有情物の主として迷惑を感じるこ
とが分かる。このように、例文22 を考えてみると、「日記を読む」というのは
「妹」の動作です。けれども、読まれる「日記」は主語の「私」ですから、たしか
に「私」もその出来事に巻き込まれている。言い換えると、誰にも読まれたくない
日記を読まれたのは「私」には迷惑を与えた。つまり、例文18 と22 において、受け

身主体と動作対象の関係が所有関係であり、受け身主体が間接的に影響を受け、迷
惑を感じると考えられる。
見て分かるように、例文18 と22 で使われる動詞は他動詞であるが、主体が影
響を間接的に受けた意味を表す受け身文にはこのほかに自動詞から形成された受け
身文もある。例文18 はその例の一つである。当然ながら、受け身文の受け手「彼」
は「雨が降った」という出来事には関与しないが、ただ雨が降ったので、その被害
を受ける。
その一方、受け手は動作主から与えられた影響が迷惑の意味が出なく、好まし
い感がする場合も、中立的な意味が表す場合もある。
例文17「私は他人に子供をほめられて、うれしいです」は例文18 と22 と同じよ
うに、受け手は出来事から影響を間接的に受けるが、受け手の感情を考えてみれば、
迷惑を感じているとはまったく言えないのではないだろうか。さらに、受け 手
「私」と動作の対象「子供」との関係は密接的な関係なので、例文18 の受け手「彼
女」と22 の受け手「私」と同じ、その出来事に関わる。ただ、相違点が生じる原因
は「ほめられる」という出来事が好ましい出来事である反面、「とられた」と「読
まれた」という出来事は被害的な出来事だからのである。以上のことから、迷惑の
意味が出るか出ないかは、動詞語幹の表す事態と主語が関心ある関係者としてそれ
を認識する、という二つの事態が認められるかどうかに関わっていると考えられる
だろう。詳しく言えば、受け手は迷惑だと感じているか、好ましいと感じているか
は、その動作の性質が決めていると言えよう。
「ほめる」という動作の性質について言えば、誰でも頭に思い浮かべるのは好
ましい出来事だろう。だが、例文20 では、「母が妹をほめる」という出来事で、受
け手「私」は寂しくなる、つまり、迷惑を感じる。

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例文19「彼は雨に降られた」では、主語「彼」は動詞語幹が表す事態、つまり
「雨が降る」ということと直接的に関わらないが、「雨が降った」(出来事)せい
で、彼がぬれて、いやな気持ちになると言えるだろう。このように、受け手「彼」

は出来事に対して、あまり好ましくない態度を持っていると、常に考えられるのだ
ろうか。しかし、その反面、受け手「彼」を長い間雨が降っていない地方に住んで
いる雨がほしい人の立場にしておけば、その人は「雨が降った」という出来事から
恩恵を得ると言えよう。このように考えれば、迷惑の意味を持っている受け身文は
当然この場面で使えるだろう。確かに、受け手の「彼」が「雨が降った」という出
来事から、影響を受けるという意味が変わらないが、恩恵を得る場面では、「雨が
降ってくれた」のようなもっとも自然な日本語の表現が使われる。
これまで考察された例文での利害を感じている受け手はほとんど友情名詞であ
る。無常名詞はどのように考えればよいのではないだろうか。無情名詞が主体とな
る受け身表現では動作の対象がその主体となる。
例文23:
(a) この大学が20年前に建てられた。
(b) 会議は会議室において行われる。
この種の受け身文では動作を行う主体は表現されないことが多いが、表現され
る場合には、主として、格助詞相当句の「によって」が用いられる。
例文24:
(a) この名画はレオナルド・ダビンチによって描かれた。
(b) 電話はベルによって発明された。
無情名詞を主体とする受け身文が動作を伴って表現されるのは、受け身主体の
属性(性質と特徴)を述べる場合が少なくない。それで、友情名詞の場合と違って、
受け身の主体(受け手)の気持ちとかを表す機能がない。つまり、中立的な意味を
持っているということである。
例文25:
彼女の財布がどろぼうにとられた。

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