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trợ từ cuối câu trong tiếng nhật và một số đề xuất về phương pháp giảng dạy trợ từ cuối câu cho người việt nam học tiếng nhật chú trọng vào ne yo yone

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I HC QUC GIA H NI
TRNG I HC NGOI NG
KHOA SAU I HC

TRèNH TH PHNG THO

TRợ Từ CUốI CÂU TRONG TIếNG NHậT Và MộT Số Đề XUấTVề PHƯƠNG
PHáP GIảNG DạY TRợ Từ CUốI CÂU CHO NGƯời việt nam học tiếng
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- -

LUN VN THC S

, 2013






TRèNH TH PHNG THO

TRợ Từ CUốI CÂU TRONG TIếNG NHậT Và MộT Số Đề XUấTVề PHƯƠNG
PHáP GIảNG DạY TRợ Từ CUốI CÂU CHO NGƯời việt nam học tiếng
nhật - chu trong vaoNe, YO, YONE-


- -




(NGễN NG NHT)
Code: 09.04.52.97
THN TH KIM TUYN, Ma

, 2013


誓言
本稿において、ベトナム人日本語学習者が日本語の終助詞を会話などに
よりうまく使用できるように、終助詞の中にある使用頻度の高い終助詞
「よ」、「ね」、「よね」を中心に研究し、初・中級範囲でベトナム人の
日本語学習者によるそれらの終助詞の誤用を分析する。その分析結果に基
づき、ベトナム人の日本語学習者に対する終助詞の指導法を提案する。
参考文献リストに載せてある文献以外の資料を引用したり、参考したり
しないこと、調査結果は事実であることおよび本研究は筆者独自研究であ
ることを誓う。

i


修士論文要約
本稿では、日本語及びベトナム語における終助詞について解説した上、
初・中級ベトナム人日本語学習者に対する「ね」「よ」「よね」の指導法
について考察した。
今後の研究は、こうした初・中級日本語学習者による誤用に留まらず、
上級のベトナム人学習者向けの終助詞の実際の使用についてさらに追及し、
学習者の習得の問題をさらに明らかにして行きたいと思う。本稿は筆者の
未塾さによりまだ触れていない問題が多くあると思うが、ベトナム人学習

者の終助詞学習に幾つかでも寄与できれば幸いである。

ii


目次
序論
1.はじめに
1.1

研究の背景

1.2

研究の目的

3

1.3

研究の範囲

3

1.4

研究の方法

4


1.5

研究の構成

5

1

2.先行研究

5

2.1

5

終助詞に関する先行研究

2.2「よ」、「ね」、「よね」についての先行研究
1.5 研究の構成
2.3「よ」、「ね」、「よね」の習得についての先行研究

6
8

本論
第一章

10


日本語の終助詞

1.1

終助詞とは何か

10

1.2

終助詞の一般的な特徴

10

1.3

終助詞の分類

12

1.4

終助詞とそのイントネーション

第二章
2.1

13

「ね」、「よ」、「よね」についての考察


「ね」についての考察

18
18

2.1.1

「ね」の基本的な用法

2.1.2

「ね」の特殊な用法

2.1.3

終助詞「ね」のイントネーション

22
24

2.1.4

「ね」のまとめ

25

19

2.2 「よ」「よね」についての考察


26
iii


2.2.1

「よ」の用法

2.2.2

26

「よね」の用法

第三章

29

日本語の終助詞とベトナム語の終助詞の比較

31

3.1.ベトナム語の文末における終助詞について

33

3.1.1

ベトナム語の終助詞の定義


34

3.1.2

ベトナム語の終助詞の特徴と用法

35

3.1.2.1

ベトナム語の終助詞の特徴

35

3.1.2.2

ベトナム語の終助詞の用法

35

3.1.3

36

現代の会話でよく出るベトナム語の終助詞の分類

3.2 日本語の終助詞とベトナム語の終助詞の比較
3.2.1


36
46

日本語の終助詞とベトナム語の終助詞の共通点

3.2.2 日本語の終助詞とベトナム語の終助詞の相違点
3.2.3
3.3

46

終助詞「よ」「ね」「よね」に対応しているベトナム語の終助詞とその機能

48
49

まとめ

54

第四章ベトナム人日本語学習者に対する日本語の終助詞の指導法
4.1 各教科書における終助詞の導入と出現数
4.2 初・中級レベルのベトナム人学習者の「ね」「よ」「よね」の用法の理解度
ついての調査

56


56


4.2.1 調査対象者および調査方法

60

4.2.2 結果の考察および結論

61

4.3 ベトナム人日本語学習者に対する日本語の終助詞の指導法

61

4.3.1 「よ」「ね」「よね」の指導法

65

4.3.2

66

4.4

ビデオを使用する指導法

68

まとめ

結論


70

謝辞

71

参考文献

I

付録

II

調査のアンケート
iv


v


序論

1.

はじめに

1.1

研究の背景


日本語の会話において、「よ」「ね」「よね」等の終助詞はよく見られ、文に話し手
の気持ちを加え、コミュニケーションを豊かにする機能を持つ。そのために日本語学習
者にとって適切な終助詞の使用は円滑なコミュニケーションを築くために不可欠である
(大曽 1986)。
実際には次の例が示すように、誤った終助詞の使い方によって聞き手に不愉快な気持
ちを与えることも尐なくない。
(1)

観光で訪れた博物館で博物館職員と日本語が流暢にできる外国人との間でなさ

れた会話である。
博物館職員:これは江戸時代につくられたものなんですよ。
外国人:そうなんですよ。
びょうぶ

博物館職員:この屏風はきれいでしょう?
外国人:ええ、きれいですよ。
博物館職員:この博物館は数年まえに建てられて…
外国人:そうですよ。
最後に博物館職員が一言。
博物館職員:こちらで一度、説明を聞かれたことがあるんですね?
外国人:いいえ、初めてですよ。
(平香織 2009)
この話では、博物館職員の説明が終わる度に、その外国人が「そうなんですよ」、
「きれいですよ」あるいは「そうですよ」と言い返した。それらの文で「よ」が使用さ
れているので、話し手の外国人がその前、この博物館を見に行ったことがあり、博物館
職員が紹介したことを全部知っていると聞き手の博物館職員が想定してしまった。しか
し、会話の最後のように、その外国人は初めてこの博物館に行った。この場合は、
「よ」を使用するのは不自然である。話し手の外国人が「この博物館」についての知識

1


は全くないにもかかわらず、「そうなんですよ」、「きれいですよ」と言うならば、聞
き手に不愉快な感じと誤解を与えることになる。それ故に、会話を円滑に進めるために
は、誤解を生じさせないように「そうなんですか」とか「きれいですね」など、相手の
発話と一致した答えを返す方が適切であろう。
また、以下の例のように、終助詞をつけるか、つけないかによって、その発話に対す
る聞き手の印象が大きく影響を受けることがある。
(2)教師:もう宿題はうちでしましたか。
学生1:はい、しました。
学生2:はい、しましたよ。
学生1、学生2とも「宿題をした」という内容を伝えているのは同じであるが、教師が
受ける印象は大きく異なる。学生2のように「よ」が付加された発話のほうに「失礼
さ」を感じる。
以上の二つの例のように、日本語の終助詞の難しさと終助詞をうまく使えないと会話
自体が成り立たなくなることを感じられるようになった。
このような重要性にもかかわらず、終助詞は実際の授業では他の学習項目と比べてほ
とんど指導されることがなく、教科書の説明も不充分であり、現在のところ日本語教育
における終助詞の指導に関する研究は充分とは言えない。そのために、多くの学習者に
とって終助詞ははっきりした意味を持たないように見られ、使いこなすのは困難であり、
日本人の使い方をなんとなくまねて使ってみるというぐらいのものであろう。
実際には、筆者が 8 年前卒業論文のために中・上級レベルのベトナム人日本語学習者
の終助詞の運用力についての調査を行なった。この調査の対象はハノイ国家大学・外国
語大学・日本語学部の 3 年生(中級レベル)と 4 年生(上級レベル)の学習者である。
また調査の方法として穴埋めテストである。その調査の結果により、ベトナム人日本語
学習者は中・上級レベルとも終助詞の基本的な機能が理解できたが、その終助詞を会話
に運用する能力は高くないと明らかにした。中級レベルの学習者は会話によく出る終助
詞「ね」の「同意要求」・「確認要求」、「よ」の「情報提供」、「か」の「疑問表
現」という用法しか分からなかったと明らかにした。「よね」の用法があまり知らず、

会話に使用するのは殆どなかったと分かった。「の、わ、な、ぜ」などの他の終助詞を
会話に使用するのは全くなかったと見られた。また、上級レベルの学習者は文法と語彙
2


などの知識がかなり身についていても、終助詞に関する知識があまり向上せず、コミュ
ニケーションの場面にどんな終助詞を使用すればいいかということがはっきり分からな
いことが多く、文末に終助詞をつけないほうがいいと思ってしまう学習者がいたことも
分かった。しかし、上述のように「ね」・「よ」・「よね」・「か」のような終助詞は
実際の日常会話に様々の用法でよく使われているので、ベトナム人日本語学習者の終助
詞の運用力を向上することはベトナム人に対する日本語教育に欠かせないことであろう
と考えられる。

1.2

研究の目的と対象

日本語のコミュニケーションを上手に図るために、標準語を円滑におしゃべり、場面
による適切な敬語を使用できるなどの以外、文末に終助詞をうまく付けることも必要だ
と言われている。しかし、ベトナム人日本語学習者は中・上級レベルに到達できても、
終助詞の運用力が高くないと見られた。そこで、本研究ではベトナム人日本語学習者が
日本語の終助詞を会話などによりうまく使用できるように、終助詞の中にある使用頻度
の高い終助詞「よ」、「ね」、「よね」を中心に研究し、初・中級範囲でベトナム人の
日本語学習者によるそれらの終助詞の誤用を分析する。その分析結果に基づき、ベトナ
ム人の日本語学習者に対する終助詞の指導法を提案することを目的とする。
本研究の対象は日本語の終助詞、特に「ね」「よ」「よね」である。

1.3

研究の範囲


本研究で考察の対象としたものは日本語の終助詞であるが、主に日常会話での使用頻
度が高い終助詞「よ」、「ね」、「よね」のみとする。他の終助詞の用法は学習者の参
考資料として挙げられる(付録 2 の参照)。終助詞「よ」、「ね」、「よね」を中心と
して取り上げた理由はこれらの三つの終助詞が日常会話では「か」と同じように使用頻
度が高い終助詞だと言われているからである。「さ」・「わ」・「ぞ」・「ぜ」・
「な」・「かい」などの終助詞はそれぞれ使用される場面などが限定されて、たとえ使
いこなせないとしても実際の会話の上ではそれほど影響がない。しかし、「よ」、
「ね」、「よね」の方は実際の会話で使わない、不適切な使い方をする場合が多く見ら
れる。それに、「ね」は初級学習者にも誤用がみられること、また「ね」が学習の早い
3


段階で使用されるものの、その上達はゆっくりしていることが挙げられる(初鹿野
1994)。このような理由で本研究では、「よ」、「ね」、「よね」という終助詞を中心
として考察を進める。
そして、ベトナム語にも主に文末におく「Tiểu từ tình thái cuối câu」(直訳にすれば文
末情態小詞になる)がある。「Tiểu từ tình thái cuối câu」という品詞は日本語の終助詞と
よく似た機能を持っているので本研究では「ベトナム語の終助詞」という呼び方にする。
本研究では「Tiểu từ tình thái cuối câu」のことをこれ以降「ベトナム語の終助詞」を言う。
ベトナム人学習者が日本語を習得する際に、母語の終助詞の用法を確認してから「よ」
「ね」「よね」をはじめ、日本語の終助詞を習得した方が速いではないかという考えに
より、本研究ではベトナム語の終助詞を紹介する。その上に、日本語における終助詞と
ベトナム語における日本語の終助詞とよく似た機能を持つの比較も行う。日本語の終助
詞とベトナム語の終助詞の共通点及び相違点を理解することによって、日本語の終助詞
を会話によりうまく使用し、特にベトナム人学習者の日越・越日の通訳能力が向上でき
るであろうかと考える。
峯(2006)は学習者の内部アンケートを分析し、初級から中級前期の学習者には授業
の影響が大きいのに対して、中級後期から上級日本語学習者の文末表現の使用頻度には
日本人との接触頻度が大きな影響を与えると指摘し、「日本人のまねをして使ってみる

ようになった」など学習者のストラテジーを紹介している。このように初級から中級の
学習者には授業で日本語の終助詞を教授するのが非常に大切であると言える。そのため
に、初・中級レベルのベトナム人日本語学習者を対象にする日本語の終助詞についての
調査を行う。初級レベルの学習者は 300 時間以上日本語を習得し、中級レベルの学習者
は 600 時間以上日本語を習得する。この調査の目的は初・中級レベルのベトナム人日本
語学習者の「ね」「よ」「よね」の用法に関する理解度と運用力を調べることである。
調査の方法は穴埋めテストである。この調査の結果の分析により、初・中級レベルのベ
トナム人日本語学習者に対する日本語の終助詞の用法を早期からしっかり把握し、それ
を会話に適切に使用できるような指導法を提供する。

1.4

研究の方法

4


資料として、日本語教科書や参考書からの用例、及び様々な場面に応じた実例を取り
上げ、徹底的に分析し、「よ」、「ね」、「よね」のそれぞれの用法を詳細に考察し、
研究を進める。各例の文末に出典を(

)の中に記する。出典の記載のないものは実際

の日常会話から取った例や作例である。
調査方法として、ハノイ国家大学・外国語大学・日本語学部における 1 年生と 2 年生
の 120 名を対象にし、学年にかかわらず同じ質問紙の回答を記入してもらうことである。
アンケートの問題は穴埋めテストの形で行なわれ、学習者の終助詞「よ」「ね」「よ
ね」の用法の理解度とそれらを会話に運用する能力を調べることを中心にされる。回答
を収集した後で、学習者の誤用を調べ、誤用率が高い問題を徹底的に分析し、誤用の原
因を取り上げる。


1.5

本稿の構成

本論は次のような構成で成立される。
第一章では終助詞の用法を紹介する。
第二章では「よ」、「ね」、「よね」についての考察を実施する。
第三章では日本語における終助詞とベトナム語における「Tiểutừtìnhtháicuốicâu」の比較
を実施する。
第四章では初・中級範囲のベトナム人日本語学習者による終助詞「よ」、「ね」、「よ
ね」の理解度および運用力に関する調査を実施し、ベトナム人の日本語学習者に対する
日本語の終助詞の指導法を提出する。

2. 先行研究
2.1

日本語の終助詞についての先行研究

終助詞はこれまで様々な視点から研究がなされてきた。
初期の国文法分野で終助詞の研究が開始された。山田(1908)は、「終助詞は上接語
への接続に一定の法則があり、陳述に関係して命令・希望・感動などの意味を表しつつ
文を終止させる助詞である」と定義している。山田(1908)は終助詞を「この助詞ども
はこれが付属するによりて陳述が完結するものにして之を除き去るときは文の精神を変
ずることあるもなり」と規定しており、その機能が「文の意味」の終止よりも「文の精
5

Comment [s1]: 誤用率



神」と関係するものであることを終助詞研究端緒の段階から指摘している。その後、橋
本(1934)が終助詞を「言ひ切りの文節の終わりにあるもので、そこで文の意味が終止
するものである」と規定する。
山田(1908)の指摘を、時枝(1951)や佐久間(1952)は対人関係の構成という視点
に発展させた。佐久間(1952)は今日の終助詞にあたるものを「言葉の演述機能に対し
てはほとんど何ら役目も果たさないで、むしろ表現的効果、ならびにもっぱら話手にア
ピールするというビューレルのいう『アペル』(うったえ)の機能を発揮するものです。
つまり話し手の話の場に望む(対人的)態度を表明するものに外ならないわけです」と
指摘している。

上野(1972)は「終助詞」を話し手と聞き手の関係を前提として使わ

れるものとし、話し手の判断を聞き手に主張するものと、話し手の判断を示し、聞き手
に最後的判断をゆだねるものというように二つに分けている。
更に、鈴木(1976)も上野とにたような視点から「終助詞は、話し手と聞き手の関わ
り合いを示すものである」と述べており、終助詞を話し手中心のものと、聞き手中心の
ものとの二つに分けている。
ところが、陳(1987)は鈴木の規定する「話し手と聞き手との関わり合い」というの
は「話し手と聞き手のどのような関わり合いであるかといったところまでは規定の中に
組み込まれていなかった」と判断しており、終助詞について「終助詞は話し手と聞き手
の間の認識のギャップを埋めることにかかわる表現手段である。」と定義している。
しかし、陳の「話し手と聞き手の間のギャップを埋める」という表現も充分とはいえ
ない。陳は話し手のどちらかが、認識の度合が高い情報あるいは低い情報を持っており、
終助詞がその両者の認識のギャップを埋めるために使われるとしか考えていない。しか
し、実際の認識の度合とは関係なく、終助詞が使用される例が存在している。

2.2

「よ」、「ね」、「よね」についての先行研究


終助詞「よ」と「ね」に関する研究は国文法、日本語文法、日本語教育、言語心理学、
認識科学、発達研究、自閉症研究の各分野に加え、最近では言語社会学や社会的スキル
研究の一部でも行なわれている。各研究分野では研究者の立場の違いを反映して様々な
アプローチが試みられており、同じ類の例文について異なる解釈が適用されている。

6

Comment [s2]: 行われている


国文法分野における研究の例を一つとり、鈴木(1976)は終助詞全体を「話し手中心
の終助詞(A 類)と「聞き手中心の終助詞(B 類)」とに分類した。その中で、「よ」
は「話し手中心の終助詞」で聞き手への「もちかけ」に用いられ、話し手自身の意向に
深く関わって禁止や命令の表現にも下接し、聞き手への配慮を幾分か含みながら話し手
の確認に関わる性質をもつことを指摘する。「ね」は「聞き手中心の終助詞」で聞き手
への「もちかけ」に用いられ、聞き手の意向に対する配慮を示し、聞き手に同意を求め
その意思を尋ねようとする性質を持つことを指摘した。
次に、日本語文法・日本語教育分野における研究は主に語用論的側面から終助詞
「よ」と「ね」を検討した研究が数多く発表されるようになった。
大曽(1986)は、以下の例(3)と(4)に代表される例文を挙げ、「判断の一致」を前
提とする文に「ね」が用いられ、「判断の食い違い」を前提とする文に「よ」が用いら
れることを指摘した。
(3)アメリカ人はあまり働きませんね。 (Người Mỹ không mấy làm việc nhỉ?)
(Không, họ làm việc nhiều đấy chứ.)

(4)いや、よく働きますよ。

また、陳(1987)では「終助詞は話し手と聞き手の間の認識のギャップをうめること
にかかわる表現手段である」という点から、「よ」と「ね」について、「『よ』は話し
手がすでに認識し、聞き手がまだ認識していない情報について、話し手が聞き手に対し

て伝える必要があると判断して伝えるときに使われる」、「『ね』は、聞き手の認識に
たよって、または、聞き手の前で、話し手が自分の認識をたしかなものにするときに使
われる」と結論づけた。
益岡・田窪(1992)でも同様の立場で述べられ、「ね」は相手も当該の知識を持って
いると想定される場合に用いられる、つまり、自分の知識と相手の知識が一致している
と想定して用いる。それに対し、「よ」は相手が知らないことに注意を向けさせる働き
をする。したがって、場合によって、単なる知らせ、注意、警告などの様々な意味を表
すとする。
また、発達研究、自閉症研究の各分野には「よ」と「ね」に関する研究は主に対人関
係機能を指摘し、言語心理学の分野を中心とする語用論的アプローチは主に「よ」と
「ね」の内在的意味を指摘し、認識科学分野を中心とする談話管理理論に基づくアプロ
ーチは主に「よ」と「ね」が果たす情報伝達時の手続き的な指示機能を指摘する。
7


それに加えて、「ね」と「よね」を比較して研究されることも多い。「よね」につい
て、野田(1993)と蓮沼(1992)が定義しているように「よ」と「ね」の複合形である
と捉えている説がある。つまり野田(1993)は「よ」と「ね」が重なるとき、それなり
の機能を持つのではないかと考えており、「よね」の「一致型の想定」とは、話し手の
知識と聞き手の知識が一致していると話し手が想定することだと述べている。そして、
蓮沼(1992)も「よね」を複合化した形として捉えている。この説に対し、伊豆原
(1993)は「コミュニケーション機能」という観点から、「よね」は「よ」と「ね」の
複合形ではなく、「よ」・「ね」と同じく、一つの終助詞として独立したものであると
見解する。このように野田と蓮沼と伊豆原では、それぞれ異なる観点から様々な表現で
「よね」を定義しているのであるが、三者とも「よね」が「確認」を表すと考えている
点では共通している。
「よね」に関する選考研究の成果により、筆者は終助詞「よ」と「ね」が「よね」と
なり、一緒に使われることがあると考える。

2.3


「よ」、「ね」、「よね」の習得についての先行研究

終助詞の習得はこれまで「ね」を中心に進められてきたため、「よね」を含めて考察
したものは尐ない。古田(2006)は韓国人日本語学習者(



)を対象として、日

本語母語話者との比較をしながら、終助詞「ね」、「よ」、「よね」の使用状況、中で
も終助詞「よね」を中心に明らかにした。また、



の間にみられる使用の差に

ついて明らかにし、その原因も分析した。
また、楊 虹(2010)は二人の中国人学習者の日本滞在中の 10 ヶ月の間に行なわれた
日本語母語者との 5 回の会話に見られる終助詞を分析した。その結果、学習者の終助詞

Comment [s3]: 10 ヶ月の間に行われた日本語
母語話者との 5 回の会話に

の使用率は、滞日期間が長くなるにつれ上がるといった傾向は見られず、その変化は一
定していなかった。また、二人の学習者の終助詞の誤用や、使用傾向に異なる特徴も明
らかにした。結論として、日本に滞在していた 10 ヶ月にわたって見られ、1年間という
滞在期間は、終助詞の使用に大きな変化をもたらすことがなかったと言えた。
谷口(1998)はブラジル人自然習得者 8 人を対象として 10 ヶ月にわたって収集した資
料を分析した結果、「ね」が最も早い段階で使用されることが共通して見られたと報告

している。また、個人差はあるものの、複数の対象者に「ね」の過剰使用が見られた。
8

Comment [s4]: 10 ヶ月にわたって
Comment [s5]: 自然習得者
かな?


次に、上級以上の台湾人学習者を対象とした張(2005)及び中上級中国人学習者を対
象とした楊(2008a)は学習者の「ね」の使用について調査した結果、日本語母語話者と
比べ、学習者の「ね」を伴う発話には「相づち的な発話」と分類されるものが尐ない、
という共通の結果を報告している。また、楊(2008b)は、学習者の「よね」の使用を日
本語母語話者と比べ、その使用がきわめて尐ないことを指摘している。
また、日本語能力の異なる発達段階における学習者の「ね」の使用状況を調査した研
究に、何(2008)、船戸(2008)がある。何(2008)は、

コーパスのデータを使い、

中国語母語話者の初級、中級、上級学習者の「ね」の使用状況を分析した。その結果、
初級の段階から「ね」の使用が見られ、日本語レベルが上がるにつれ、使用される
「ね」の機能が広がることが明らかになった。また何(2008)は初級から上級学習者に
一貫して見られる不適切な使用について、「ね」と「よ」の機能を十分把握していない
ことが原因だと指摘している。
上述のように、学習者の終助詞習得に関する研究において、韓国人・中国人・ブラジ
ル人・台湾人などの研究対象にする研究が多かったが、ベトナム人日本語学習者を対象
とした終助詞の研究はほとんどなかった。そこで、本研究では「ね」「よ」「よね」を
中心としたベトナム人日本語学習者の終助詞の使用状況を明らかにすることにより、ベ
トナム人日本語学習者に対する日本語終助詞の指導法を提示する。

9


Comment [s6]: 習得


第一章
日本語の終助詞
1.1

終助詞とは何か

日本語の終助詞はこれまで様々な視点から研究がなされてきた。初期の国文法分野で
終助詞の研究が開始された。山田(1908)は、「終助詞は上接語への接続に一定の法則
があり、陳述に関係して命令・希望・感動などの意味を表しつつ文を終止させる助詞で
ある」と定義している。山田(1908)は終助詞を「この助詞どもはこれが付属するによ
りて陳述が完結するものにして之を除き去るときは文の精神を変ずることあるもなり」
と規定しており、その機能が「文の意味」の終止よりも「文の精神」と関係するもので
あることを終助詞研究端緒の段階から指摘している。その後、鈴木(1976)は「終助詞
は、話し手と聞き手の関わり合いを示すものである」と述べており、終助詞を話し手中
心のものと、聞き手中心のものとの二つに分けている。その他、終助詞について様々な
定義が挙げられた。
終助詞に関する先行研究の成果により、筆者は終助詞について次のように考える。
終助詞は文の終わりに付けられ、聞き手に対する話し手の態度・判断を反映した表現
の一つである。
1.2


終助詞の一般的な特徴
終助詞は役目の上で他の助詞との相違点がある。それは他の助詞が語と語の間の

関係を明確にする役目を果たすことに対して、日本語の終助詞は文の全体判断を聞き手

にもちかけ、関係づけを作る役目を果たす。例えば、「雤が降るか」といえば、「雤が
降る」という全体評価を相手にもちかけて問うことである。また「雤が降るぞ」といえ
ば、「雤が降る」という全体判断を相手に教示するわけである。


日本語の特徴として膠着形態および語順が比較的に自由であることから、質問・

疑問の表明には、ヨーロッパの諸言語では語順が変化することが多いのに対して、日本
語の文の語順は不変で、文末に終助詞を添えることで表現する。これは推量の表現にお
いて、文の終止形の後に推量の助動詞を加えて表現するのと基本的に同一の表現方法で

10


ある。それ故に、日本語では文の最後部分まで聞き取らないと、疑問や否定や推量など
の意味が聞き手を受け取られない。


变述文に対して、話し手が疑問や詠嘆や希望や命令や禁止や確認などの意味を表

したいとき、文末に終助詞をつける。文末につけられた終助詞によって一定の文表現を
成立する。
例(5) A:今日はきのうよりあつくなりましたね。
B: はい、そうです。
(6) A:

そろそろ行きませんか。

B: ええ、行きましょう。


例(5)のように「ね」は話し手が相手に「あつくなる」ということを確認したい時
に使われる。例(6)では「か」の使用により、話し手の勧誘という意味を表すことが
できる。


また、日本語の終助詞は文末のイントネーションの違いによって、表現する意味も
異なる。

例(7)もう 10 時ですよ。 子供は早く寝なさい。
(8)約束の時間は 10 時ですよ。
例(7)では「よ」を上昇イントネーションで発音すれば、話し手が時間を知らない
相手に「10 時になった」ということを教示するとともに、聞き手の注意を喚起すること
ができる。また、例(8)の「よ」を下降イントネーションで発音すると、話し手の
「何度も確認したのにまた聞かれる」というニュアンスも示す。


最後に、終助詞の使用法により顕著な男女差および話し手と聞き手の関係(年齢・

親しみ・位置など)が見られる。以下の例からそれがはっきり見られる。
例(9)(花火を見ている)
妻:わー、きれいだわ。
夫:うーん、きれいだなあ。

(10)(二人の息子がけんかしているところ)
父:こら、よさないか。喧嘩するな。
11


例(9)のように、同じ場面で同じ「花火がきれい」という事実に対する感情をつよ
く表現するのに、妻は文末に「わ」をつけ、夫は「なあ」を付加した。独り言として女

性は「なあ」が使えるが、男性は会話でも独り言でも「わ」を使えばおかしい感じがす
る。そして、例(10)では、父の命令を表す「か」と禁止を表す「な」は目上の人が目
下の人に対する言い方である。
要するに、終助詞は常に文末に位置する特性を持っている助詞であり、話し手が聞き
手に対する働きかけの気持ちを表すものである。

1.3

日本語の終助詞の分類

日本語の終助詞の分類については、分け方がさまざまである。本章では文表現の成立
に関与する可能性によって、日本語の終助詞を大きく

つのグループに分類する。それ

は文表現の成立に関与する終助詞および文表現の成立に関与しない終助詞である。
文表現の成立に関与する終助詞は文表現が決定できる。文表現の成立に関与する終助
詞は「か、かしら、ね、よね、な、かな、の、わ、わい、さ、い、こと、って、っけ、
とも、もの、たら」を含んでいる。文表現の成立に関与しない終助詞は文表現の成立に
関係しないが、聞き手の注意を促した、念を押したり、話の内容を相手に押し付けたり
するものなどがある。文表現の成立に関与しない終助詞は表現内容を相手にもちかける
終助詞および文末に余情を残す終助詞から成立される。表現内容を相手にもちかける終
助詞は「よ、や、ぞ、ぜ」であり、文末に余情を残す終助詞は「けど、が、のに」であ
る。
上述のように、本研究の研究対象は「ね」「よね」「よ」であり、「ね」・「よね」
は文表現の成立に関与する終助詞で、「よ」は文表現の成立に関与しない終助詞のグル
ープに属している。この終助詞の分類法により「ね」・「よね」と「よ」の用法の違い
がはっきり理解できる。このようにこの終助詞の分類の仕方に選択した。

12



表1

日本語の終助詞の分類

か、かしら、
ね、よね、な、

文表現の

かな、の、わ、

成立に関

わい、さ、い、

与する

こと、って、っ

終助詞

け、とも、も
の、たら

日本語


終助詞

文表現の

表現内容
を相手に
もちかけ
る終助詞

よ、や、
ぞ、ぜ

成立に関
与しない
終助詞
文末に余
情を残す
終助詞

1.4

けど、が、
のに、

終助詞とそのイントネーション

終助詞は日常会話によく出現する助詞であり、会話に欠かせない要素であるイントネ
ーションと密着な関係を有する。上記のように、話し手の性別・年齢・話のニュアンス
によって使用される終助詞が異なる。そして、話し手が自分の疑問や詠嘆や希望や命令
13



や禁止や確認などの意味を表すために文末における終助詞は強調・下降・平变などの異
なったイントネーションで発音する。また、異なったイントネーションで発音されると、
接続する文の意味を変えることができる終助詞も存在する。つまり、文末における終助
詞のイントネーションの異なりによってその文の意味が変わる。以下にはそれらの終助
詞を考察する。
一定の文末のイントネーションを伴うことによって、文表現を決定しうる終助詞として、
「の」「て」「こと」について述べる。
1.4.1

終助詞「の」

 「の」はストレストーンを伴った場合には命令を表す。
例(11)午後から練習するの (強勢)


上昇調のイントネーションを伴う時には質問を表す。

例(12)午後から練習するの


↑(上昇)

下降イントネーションで発音されると、平变ないしは念を押す表現となる。

例(13)午後から練習するの

↓ 下降

このような終助詞「の」による表現は話し手の性別・年齢などにはほとんど関係なく、
広く用いられるが、命令「の」はその性格上、後輩または目下に対する場合に限られる。

また、質問や平变の表現では、敬語や敬体と共存しうるがこうした用法はもっぱら女性
は用いる上品な言い方である。
例(14)あした、お家にいらっしゃいますの



以外は「のね」、「のよ」、「のさ」などの複合形もある。

1.4.2

終助詞「て」

 文末の「て」が強く発音されると、命令あるいは勧誘を表す。
例(15)おじさんに返事出して。(強勢)
 文末の「て」が上昇調のイントネーションで発音されると質問になる。
例(16)おじさんに返事出して?↑

14


これは女性の特有である。これを敬語や敬体とともに用いたり上品なやや気どった言
い方とされる。
例(17)なにか、お飲みになりまして
 文末における「て」が下降調で発音されるとー種の確述の表現となる。
例(18)いつも、馬鹿なことばかり言って。↓
これはやや年輩の人々の身うち・仲間うちの会話に、よく見られる言い方である。

「て」の複合型
 なお、「て」の複合型の中で、「てよ」の形は、ストレストーンを伴って命令の
意味を表す。

例(19)ちょっと、こっち見てよ。{強制}
 平变あるいは下降調で述べれば確述の意味を表す。
例(20)でも、お庭は暑くてよ。↓
これらはいずれも、女性専用の言い方である。

1.4.3

終助詞「こと」

 文末の「こと」を上昇調で発音すると、質問となる。
例(21)今夜、お電話していいこと?
 文末の「こと」を下降調に発音すると、詠嘆を表す。
例(22)まあ、素敵なお部屋だこと!
質問と詠嘆を表す「こと」は女性専用の上品な言い方である。そして敬体・敬語とも共
存するが、これは、むしろ気取った言い方として敬遠される傾向もある。
しかし、最近の若い女性の間では「こと」による質問や詠嘆の表現は衰退しつつある。
 文末の「こと」を強制で発音すると、命令の意味を表す。
例(23)12 時までに駅前に集まること!

15


命令の意味を表す「こと」は教師が生徒に対して、あるいは上官は部下に対して指示
する場合などの監督する立場の人が命令を下すような場面で見られるのみで、一般会話
にはほとんど出て来ない。
むしろ、掲示や文書などに注意辞事項を述べる場合などに、よく用いられる。

1.4.4

終助詞「と」


 文末における「と」を上昇調イントネーションで発音すれば、質問を表す。
例(24)中村先生が御病気ですと?↑
この場合の質問は突然の聞き返しのニュアンスを持つ。
 文末に下降調の場合は伝聞の表現となる。
例(25)中村先生が御病気ですと。↓
「と」による質問・伝聞の表現はほぼ年輩の男性に限られ、現代一般には「って」の形
が用いられる。また、「と」には意志の助動詞「う」「よう」について自分の気持ちを
放り出すような言い方も見られる。
例(26)もう帰ろうって。
この場合の「と」はストレス・トーンを伴ない「っと」と促音化する。

1.4.5

終助詞「って」

 「って」+上昇:質問の表現
例(27)明日は海に行くって?
 「って」+下降:伝聞の表現
例(28)彼は海に行くって。
その他に「ってさ」もある。「と」のように「って」にもストレストーンを伴い、次
のような用法がある。
例(29)ええ、分かってますって。

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これは相手を突っ放したような言い方である。性別・年齢にかかわらず、比較的広く
使われるが、ややぞんざいな言葉づかいになり改まった場面に用いられない。


表2

終助詞

代表的な終助詞のイントネーション一覧表

文末の終助詞のイ 意味

注意

ントネーション




こと



って

強勢

命令

その以外は「のね」、「の

上昇

質問


よ」、「のさ」などの複合

下降

平变ないしは念を押す

形もある

強勢

命令ないしは勧誘

そのほかに「てよ」がある

上昇

質問

下降

一種の確述

強勢

命令

その他に「ことね」、「こ

上昇


質問

とさ」などさまざまもる

下降

感嘆

上昇

質問

その他に「とね」、「と

下降

伝聞

さ」などの複合形がある

上昇

質問

下降

伝聞

ようするに、終助詞はイントネーションと深い関係を持ち、イントネーションによっ

て一つの終助詞は様々意味を表すことができる。終助詞のイントネーションを尐し間違
って発音すると別の意味になってしまうことがあるので、文末の終助詞の発音に充分に
注意することが必要だと思う。

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第二章
「よ」「ね」「よね」についての考察

終助詞「よ」「「ね」「よね」は書き言葉の文には殆ど用いられないが、日常会話に
頻繁に使われており、全文体の会話に及ぼす影響が多い。以下に「よ」「ね」「よね」
の機能をそれぞれ述べる。

2.1

「ね」についての考察

「ね」の機能について杉藤(2001)では、「終助詞『ね』はこれを付加することによっ
て話し手の心情を明らかにするとともに、生き生きとした対話を成立させる機能を持
つ」と述べられておる。また、宇佐美(1999)は「終助詞『ね』は敬語のようにそれ自
体が文の『丁寧度』を表すものではない。しかし、それが話者の発話態度を付随的に示
すことから、これまでしばしばその『対人調節機能』が指摘されてきた」と説明してい
る。このように、終助詞「ね」は話し手が聞き手に自分の気持ちを示す機能を持つとと
もに、コミュニケーションを円滑にする働きがあることが分かる。
「ね」の用法は主に「共同注意」を求めるのに使われる。「共同注意」について、守屋
(2006)は、「共同注意」とは、相手と同じ対象を共に見ることであり、注視を求める
者と求められる者および『見え』(対象)の三項関係において把握される。「共同注
意」では対象への意味づけが共有され多くは心的交流を伴う」と述べており、「共同注
意」とは、話し手と聞き手との共有情報、話題或いは見ているモノについて、話し合っ

たり交流したりすることだということが分かる。さらに、守屋(2006)では、この「共
同注意」は自閉症児にとって困難であることやその発話において特に終助詞「ね」が欠
如することが報告されており、「ね」がある対象を挟んで対話する際の話し手と聞き手
の心的交流すなわち「共同注意」に深く関わっていることが分かる。
ま た 、 終 助 詞 「 ね 」 は 人 に 親 し み を 感 じ さ せ る 。 し か し 、 宇 佐 美 (1999 )で は 、
「『ね』の使用は親愛表現とつながるが、多用すると時と場合によっては、好ましくな
い印象を与える」と述べられており、終助詞「ね」の使用は時と場合によって注意しな
ければならないことが分かる。
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